ミューズは願いを叶えない


10月某日 某時間
警察署 取り調べ室  

「アンタねぇ、正当防衛というか…。あれはもう、どう見ても過剰防衛でしょう。」
 袋に手を突っ込み、無造作に取りだしたかりんとうを食みつつ、茜はそう告げた。
「いえ、俺は生命の危機を感じたんでがむしゃらでした。相手は凶器を持っていましたから。」
 被疑者としての模範解答をしつつ、王泥喜はニコリと笑う。一瞬茜は動きを止めて、そして息を吐いた。響也からの通報で警官と共に駆けつけた現場には、死屍累々という言葉が相応しい怪我人が転がっていたのだ。
 キッチリと急所を外した手際は、王泥喜が喧嘩馴れしている事を示している。可愛らしい外見と違う有様は、過去には何があったのかなど図る事は確かに難しい。
「まぁ、いいわよ。幸いジャラジャラの管轄になって、起訴の為の審査で顔を見た途端に告訴自体が取り下げられたから。」

 自分が怪我を負わせた相手が検事だったなどと、あの男達は夢にも思っていなかったのだろう。その点については同感だ。あんな格好の検事がいると想像出来る人間の方が皆無に違いない。
 ただ、その事によって兄弟子の思惑は外れ、罪状が増えた。けれど、それを王泥喜を揺らしはしなかった。王泥喜の頭を占めて居るのは別な事だ。

「私、言いたい事があるんですけど! 聞いて頂けますか、刑事さん!」
 王泥喜の横で腕組みをしていたみぬきが、唐突に声を発した。ん〜発言を許しますと告げる茜に『それは裁判長でしょ!?』と王泥喜は心の中でツッコミを入れる。

「あれは、絶対王泥喜さんの堪忍袋の緒が切れた音だと思うんですよ!」
「は?」
 みぬきの突拍子もない発言には、流石の茜も言葉に詰まる。
「牙琉さんが、私を庇って怪我した時に、『ブチッ』って音がしたんです!」
 しかし、両手で拳を握って、みぬきは声を張り、なおも訴える。
「…………。その、聞き間違いじゃないの?」
 堪忍袋の緒が切れる音が聞こえるなんて、漫画の効果音でもあるまいしと茜が告げるのを、王泥喜は内心複雑な気分で聞いていた。
自分も確かにその音を聞いた。己が殴られた時には浮かんでも来なかった怒りが、響也の傷を見た途端、沸いたのだ。
 誰に聞いてみる訳にもいかず、王泥喜はこっそりと溜息を吐いた。


10月某日 某時間
検察庁 牙琉響也 オフィス

「…という訳で、告訴は取り下げです。」
 形式上の台詞を告げ、響也はお疲れさまと王泥喜に珈琲を差し出した。そう言えば、茜のところに呼び出された時には、出涸らしの茶ですら出ず(本人はかりんとうを食い散らかしていた)事を思い出す。
 素直に礼を言って、目の前のカップに手を伸ばした。何だかんだで、喋り続けていたので、少し熱い珈琲ですら喉を潤してくれる。
「そういえば、随分といいお兄ちゃんなんだね。」
 同じく、事務官の入れてくれた珈琲に口を付け、響也はそうそうと言葉を続けた。
「お嬢さんが襲われそうになって、おデコくんがあんなに怒るとは思わなかったよ。妹を守るお兄ちゃんみたいで…ホント、格好良かった。」
 クスクスと笑う響也。その頬には、まだ切り傷が痕を留めていた。

……君は、自分自身が傷つけられるよりも“大切に思っているもの”を傷つけられた方が堪える男なんだな。……

 ふいに成歩堂の言葉が蘇る。あっと叫びそうになり慌てて口を抑えた。
怪訝そうに小首を傾げる男の顔に、ドギマギする。

 あの時、傷つけられたのは『みぬきちゃん』じゃない。眼前にいるこの男だ。抑えられない怒りが湧いたのは、響也に傷を負わされたからだ。
“大切に思っているもの”それは、この男の事なのか?
 示された事実に、目眩がした。

「黙り込んで、どうしたの?」

 眉を寄せ、綺麗な貌が王泥喜に近付いてくる。輪郭がぼやける程度の距離で、それは止まった。
 手を伸ばした指先が、響也の頬−傷跡−に触れた。

「…嫁に貰いますから。」
 ぽつりと呟いた科白に、響也は(へ?)と間抜けな声を上げた。どうにも意味が掴み取れない様子で目を瞬かせる。
「牙琉検事を傷物にしてしまったので、責任取ります。」
 息を吸い、吐き出すタイミングで言葉を出す。流石の響也もその意味に気がついた。
 けれど、瞠目している響也は、離れた後もそのまま固まっていた。驚く事も、嫌がる素振りもみせないので、王泥喜は向き合った相手の名を呼んだ。
「響也さん」…と。そうして、はっと我に戻ったらしい響也は(なっ)とか(あっ)とか叫んで身を引く。

「おデ、おデコく…っん!?」

 紅潮し、慌て蓋めく相手を、王泥喜は驚くほど冷静に見つめていた。

「よ、嫁ってなんだよ。僕は男だし、君の方がずっと可愛いじゃないか。
 だいだい、僕が嫁って、それなら僕がおデコくんを貰うに決まってるだろ!」
 
 よくわからない言い訳をする唇を王泥喜はジッと見つめた。
 ごく普通に恋人が欲しいと願ったのに、どうして、こんな『男』を好きになる必要性があったんだろう。まぁ、並の女より綺麗で好みの顔だとは認めるけど…。
 幸いにも、響也からは先に好きだと言って貰っていたから、どんな(好き)かと言う事はこの際だから無視する事にする。
 いや、さっきからの言い方なら、問題ないはずだ。締め付けられる腕輪の緊張も、何故か心地良かった。
 王泥喜は僅かに前に出て、わめき続ける唇に自分のものを軽く重ねた。塞いだそれは、王泥喜が離れてももう声が出てこない。
 お陰で部屋は随分と静になったので、王泥喜は問いかけた。

「kiSSしていいですか?」

 もうしたくせにとかブツブツ文句を言っていたが、上目使いで王泥喜を見据えた。
真っ赤になっている響也を可愛いと思う時点でもう終わりだ。

「してよ。」
 
 どうやら、恋の力には逆らえそうにもないらしい。


〜Fin



男の子同士の恋愛って奴を真面目(?)に書いてみよっかなぁと思ったお話でした。 王泥喜くんに対する私のドリーム満載です。少しでも彼がカッコいいと思って頂ければ成功ですね。 響也のイメージは、KOH+の「KISSして」でした・笑


content/